『白い牙』が大好きでした。
私自身も満月の夜は狼男のように眠っていた
野性が呼び起こされるような不安を感じていた
ような気がします。
我が家で飼っているバル(柴犬)は『彗星物語』の
フックのように自分を犬だとは思ってませんが
ざわざわとするような月夜に救急車のサイレンを
聞くと遠吠えをすることがあります。
仲間に応えるようなその遠吠えを聞いた時だけ
バルにも野性が残ってるのかなと感じます。
遠吠え

美しくしなやかな肢体は
月の光を浴びながら
闇の中をひた走る。
貪欲で誇り高き白き狼。
自由を奪うものには牙を剥き
生命をかけて闘いを挑む。
孤独を勲章にして
己の領域を死守する。
純潔を守る白き牝の狼。
燃える瞳に秘められた
未知の世界への恐れを
月だけが知っている。
処女の一途さで
月に向かって吠える。
私は決して負けたりしないと。
或る日、蒼き狼が通りかかる。
白き狼は必死で牙を剥く。
蒼き狼は黙って時を待つ。
白き狼がずっと守ってきた
誰にも侵されることのなかった
草原に少しずつ風が吹き始める。
白き狼は初めての経験に
畏れ慄き身体を震わせる。
やがて月が満ちる日が来たとき、
白き狼は自分の内部の
微妙な変化に驚く。
今まで誰も知らない
心の奥に隠された静かな湖に
一つの石が投げ込まれる。
その波紋は緩やかに確実に広がっていく
石はゆっくりと落下していき
やがて湖の底にたどり着く。
初めて人が月に降り立ったような邂逅。
白き狼は己が狭量であったことを知る。
蒼き狼は白き狼と共に
月に向かって吠える。
世界を共有した歓喜の歌。
しかし、蒼き狼は去ってゆく。
白き狼は別離の辛さに褥を濡らす。
処女の時代を喪った白き狼は
自分を見失ってうろたえる。
そのとき白き狼は初めて気がつく。
蒼き狼は草原を吹きぬけていった
風だったのだと。
風が止んでも白き狼の住む草原は
豊かに生命を育んでゆく。
白き狼は慈しみの心をこめて
月に吠える。
白き狼は月の光を浴びて
月の元へと帰っていく。
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